I want..Dear Baby..
不妊治療の末授かった子が胎児水腫と診断され緊急入院。 翌日生後6時間で天へと帰ってしまった長女の記録。 そして、不妊治療を再開して授かった2人目の子も胎児水腫と診断される。
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洸 2歳
今日は洸の2回目の誕生日。
ケーキと花でお祝いです。
誕生日おめでとう。

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茜凜には「ありがとう」という気持ちが沸いてきているが
洸には「申し訳ない」という気持ちが強い。

2回目の胎児治療はするべきではなかったのでないか。
一瞬でも戸籍に載せてあげた方がよかったのではないか。
死産ではなく、新生児として迎えてあげたかった。
そんな想いが今でもあります。


さくらひらひら舞い降りて落ちて
ゆれる想いのたけを抱きしめた
君と春に願いしあの夢は
今も見えているよ
さくら舞い散る

いきものがかりの「SAKURA」
洸が産まれた頃、ラジオからよく流れていました。
今でもこの歌詞を聞くと洸を思い出します。
桜の咲くころ病院に通い、無事を願い、
想いは届かず涙してた事を思い出します。

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病院の桜は今年も、洸が退院した時と同じ様に、きれいに咲いていました。


4月6日 洸の誕生日
お誕生日おめでとう。
1歳になった洸はどんなことができるようになっているのかな。
まだケーキは食べられないだろうけど、
バースデイケーキでお祝いです。
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病院の駐車場にある桜が満開になった。
桜の咲く季節が来て、満開に近づくにつれて、
あの頃の状況や、抑えきれなかった感情を思い出す事が多くなり、
そのたびに胸が一杯になり、目に涙が浮かぶ。
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茜凜がいなければ洸はいなかった。
洸がいなければ稟菜が生まれてくることはなかった。
茜凜にも洸にも無事でいて欲しかったけど、
そうすると稟菜はいなかったかも知れない。
そう思うととても不思議な感覚になる。



洸ベア
金曜に洸のメモリアルベアが来ました。
茜凜のときと同じく
こちらで
出生時の身長と体重で作成しています。
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38.5cm、1506g。
26週で産まれた洸は茜凜よりひとまわり小さく
浮腫みがなければもっと小さかったんだろうと感じます。
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茜凜と洸とココペリさんと
おなかの赤ちゃんの無事を祈ります。
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ココペリさんはアメリカの先住民族の幸運の主で
妻の友人から願いを込めていただきました。

色々な方からの想いが心にしみます。

喪中です
去年に引き続き喪中葉書を作りました。
洸は戸籍に載る事は出来ませんでしたが
僕らにとっては大切な愛しい子供であり
新年が明けても、おめでとうという気持ちではないので
喪中葉書を出す事にします。
今までにこれ程真剣に喪中葉書を作った事はありません。



最近は胎動もよく感じられるようになってきています。
夜になると良く動き出すようです。
僕はまだ感じていないのがちょっと残念です。



合同慰霊祭
大学病院主催の合同慰霊祭に参列した。
去年に続き2回目。
合同慰霊祭は献体あるいは病理、法医解剖された方の御霊に対して行われる。
僕らは原因を知りたくて洸の病理解剖を依頼した。
結果はまだわからない。
たぶん茜凜の時と同じように原因はわからないだろう。

去年の合同慰霊祭では、女声アンサンブルの歌に号泣した。
赤とんぼを聞いて涙が止まらなかった。
今年はグッと来るものはあったが涙はこらえられた。
何故だかわからない。
2人とも同じ様に大事な子なのに。

霊前に献花を行い洸の御霊に対し深く礼をする。

ありがとう。そっちでは元気か。
来年は参列しなくて済むよう見守ってくれ。



高額療養費の支給制度(4月分)
4月は洸の産まれた月であり
出産育児一時金の支給を受けていたので
4月分の高額療養費は支給されないと思っていましたが
支給されました。

新盆
今日から夏休み。
午前は洸の新盆供養にお寺へ行った。
お寺にはそれぞれ新盆を迎える方々がおり,お経と焼香が行われた。
供養終了後塔婆と呼ばれる木の札を墓に捧げるのだが
洸の墓はないので自宅に持ち帰えった。
うちの両親からはまた納骨の話になった。
何度言われても両親の買った墓に入れる気はない。
僕らのどちらかが死んだ時に一緒に墓に入ると決めている。

夜には相模川で灯篭ながしが行われました。
僕らも灯篭に茜凜と洸の名を書き、想いを込めて流しました。
2つ並んで流れていく灯篭。
流した灯篭は茜凜が洸の手を引くように流れていく。
隣で灯篭を流したお爺さんは
「婆さん来年もまた来いよ」と言っていた。
僕は行かないでと思いながらしばらく灯篭を追いかけた。

下流に流れていった僕らの灯篭の灯りは無数の灯りとともに流れ
見分けがつかなくなってしまった。
無数の灯りを見送りながら、なぜか涙が溢れてきた。

高額療養費の支給制度
6月下旬、市役所から3月の医療費が高額療養費に該当するので
申請してくださいとの書類が届いた。
その書類には3月の医療費のうち27万円あまりが申請により支給されるという事で申請した。
そんな通知が来るのなら申請しなくても支給してくれればいいのにと思いつつも市役所へ。
3月にかかった医療費のうち支払った額は合計36.5万円。
そのうち保険適用で支払いをした35万円が高額療養費となり
ここから7万円強を引いた額が支給される額となる。

妊娠12週以上での死産の場合にも出産育児一時金は支給されるので
ついでにこのとき申請した。

そして両方とも7月下旬に支給されました。

健康保険もきかないと思っていたし、
まさかこんなに支給されるとは思っていませんでした。

洸のメモリアルベアを作らなくちゃ。
位牌も作って仏壇の代わりになる物も用意しないとな。






7月7日
明日7月7日は洸の出産予定日。しかし、順調ならば
帝王切開になるので2週間前の木曜日に産まれていた事でしょう。

泣き声、オムツ、あやし声。
普通にやってくる普通の事。
それが普通でなくなってしまいもがく。
もがこうが泣こうが悲しもうが何も変わらないのはわかっているけど、
何事もなかったように生活することはできない。

7月7日は七夕。
洸は天の川の向こうにいる茜凜には会えただろうか。
そして僕らは何年経てばこの子達に会えるだろうか。
笑ってこの子達に会えるだろうか。

洸、生後1ヶ月
洸が産まれてから1ヶ月が経った。
僕らはいつも通りに生活している。
妻はしぼんでしまったおなかを妊娠前の状態に戻そうと努力している。
僕は今までと変わらず仕事をしている。

茜凜の時にはまだまだ悲しみから脱せずにいた期間だったが、
今は不思議なほど落ち着いている。

胎児水腫と診断されてから洸が力尽きてしまうまでの2ヶ月、
とても不安で心配だった。
仕事は手につかず、仕事などせず早く病院に行きたいと思っていた。
病院に向う車で曲を聴きながら何故か涙が出てくることもあった。


洸の事を忘れたわけでも、思い出さなくなったわけでもない。
想いは行き場を失い落ち着いている。



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